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[生前整理]知っていますか?お墓にまつわる大問題!?

私たちは、生まれた時から毎日「死」という終わりに向かって生きています。どんなに今現在元気な人でも、とても苦しい病気と闘っている人でも平等に訪れるのが「死」です。「死」はいつ、どこで、どのような場所で誰に看取られてどのように訪れるのか未知のものです。その「死」をどのように迎えるかの準備をするのが「生前整理」といいます。生前整理は、いつか訪れる死を穏やかなものにする大切な準備です。ですが、「死」とは現実的に捉えられることが少なく客観視されていることがほとんどではないでしょうか?
明日、事故で死ぬかもしれないなんて考えながら毎日を大切に過ごしている人はほんの僅かかと思います。その僅かな人というのは、大切な人を突然失った人だったり、現在病気闘病中でいつ亡くなってもおかしくない人であったりと、現実的に死を受け止めることの想像や予想がつく人です。先日、若くして亡くなられた芸能人の小林麻央さんのニュースは日本中の老若男女に「死」と残された家族の「生」の両方を考えさせられたニュースではなかったでしょうか?実際この記事を書いている私も小林麻央さんのニュースで自分の死について考えた一人です。とてもショッキングなニュースでしたが、小林麻央さんのご家族は悲しみの中でも穏やかに送ってあげられたのではないでしょうか?
それも、きっと闘病中に生前整理について話されたりご準備をされたからではないかと個人的に思うのです。では、亡くなったあとの魂はどこへいってしまうのでしょう?今回は遺骨や魂を収め、弔うお墓の問題について記していきましょう。

あなたはお墓に入りますか?入りませんか?


まず、今現在自分が参っているお墓がありますか?先祖代々の墓、○○家の墓、霊園、など種類は様々です。日本には、宗教によってお墓の有る無し、種類などもありますが一般的には墓石という建物がありその墓石を継承されて今に至るという方が多いのではないでしょうか?また、親戚づきあいなどをされない家族や身内などがいない人は自分で準備する必要があります。ですが、近年お墓を継承していくことの難しさや、先祖の墓に入ることが躊躇われることもあり実際にお墓のあり方が問われています。お墓に入るということは、その後もその墓を参ってくれる後継者がいるかどうかにつながります。近年、お墓に入らないという選択をされる方が多くいらっしゃるのも事実です。方法としては、永代供養墓や散骨、霊園合同葬などがあります。ちょっと新しい埋葬として注目されているのが手元葬です。手元供養とも呼ばれています。

  • 永代供養墓・・・継承者がいない又はいなくなってからも永代供養料を支払えば霊園や寺院などが
    永続的に、供養を続けてくれるお墓のことです。
  • 散骨・・・・・・火葬したのち、焼骨を粉末にしたものを海、山、空等でそのまま撒くこと。法律に則った方法で行うことが日本では義務付けられています。
  • 霊園合同葬・・・他人同士(別居家族、再婚家族なども含む)が合同で一つの墓に入り、残った人たち皆で守っていこうという形式の墓。
  • 手元葬・・・・・遺骨や遺灰を、ペンダントや指輪、数珠などの専門容器に入れ故人の形見を持ち歩いたり身近なところに置いておくことにより供養する方法。

自分の死後どのような方法を選ぶかは自分で決めたいものです。また、そうでなければ残された人に多大な負担やお金がかかってくることをきちんと理解しておきましょう。墓に入る、入らない、どちらにしても少なからずお金が必要です。生前整理をしながら、今使うお金、老後のお金、死後のお金と分けて貯金をしていきたいものです。

実際にあったお墓相続の切ない話


明治、大正、昭和、平成という激動の時代を生きた老夫婦とその子、孫の実話です。老夫婦のただしさん(大正2年生まれ)と妻のタツさん(明治44年生まれ)のご夫婦が知り合ったのは昭和20年9月のこと。戦後すぐのことでした。ただしさんが32歳、タツさん34歳。タツさんは19歳のときに最初のご主人である山野末治さんとご結婚されていました。幸せな夫婦生活でしたが子ができず戦争で末治さんが亡くなったことが告げられその後大変な苦労をされたそうです。末治さんと結婚した当時末治さんのお父様の名義の山野の家と墓を末治さんが相続されました。
末治さんが亡くなられた当時、戦争中であったこととお二人に子がなかったことがその後の相続に大きく影響されることとなります。夫を亡くしたタツさんに残されたのは夫の母と姪子さんとの苦しい生活でした。病弱な母は末治さんが亡くなった翌年に亡くなり姪子さんは、それから3年たった後にお嫁に行かれたそうです。タツさんは、末治さんの墓と家を守るべく一人で住まわれていました。そんな時、酒屋で働いていたただしさんと出会います。ただしさんには、子供が3人いました。ですが、妻は失踪していませんでした。
お互い身寄りのない身だったタツさんとただしさん。子がいないタツさんにとってただしさんのお子さんをみることは幸せに感じる時間だったのでしょう。お二人は惹かれあい、再婚をすることになりました。ただしさんがお子さんを3人つれて、タツさんの家に入る婿養子婚でした。タツさんは末治さんから引き継いだ家と墓を継承していきたいという思いがあったためでしょう。
ですが、時代は戦後。食べることもままらならない生活が続き、ただしさんの連れ子の長男が家を出てしまい、その後山野の苗字を捨てる形でご結婚されたのでした。次男もまた、山野の苗字を継ぐことはなく婚家に婿養子に行きました。お二人は、三男に山野の家と墓を継承してもらおうと思っていましたが三男は結婚をすることがなく、生涯独身でした。それから何年か後、長男、次男に子が出来、ただしさんとタツさんは祖父母になりました。
ここで、少し整理しておきたいと思います。

昭和 5年   タツさんが山野末治さんと結婚 山野タツとなり山野家の土地と墓を相続
昭和 12年   山野末治さん、戦死。
昭和 13年   山野末治さんの母、病死。
昭和 16年   山野末治さんの妹が結婚。
昭和 20年   第二次世界大戦が、終戦。山野タツさん、ただしさんと出会い婿養子に迎え再婚。(ただしさんの連れ子3人とも)
昭和 36年   孫が誕生するが、山野の姓を継ぐものなし。
昭和 56年   ただしさんの次男が病死。三男は家を出たのち連絡がとれず行方不明。

その後、平成2年に山野タツさんが亡くなられ夫のただしさんは平成4年に亡くなられました。仲の良いお二人でしたが、その生涯はほぼ老夫婦お二人の生活。寂しい老後となりました。お二人とも、山野家の墓に納骨されました。さて、このご夫婦に残されたのが山野家の家と墓です。
ただしさんの連れ子であった長男も山野姓ではなく、次男はお二人が亡くなる前に死亡。三男は行方不明。山野の戸籍には婚前にあったものの、親戚づきあいもせずにいました。当然相続問題に発展するわけです。土地を相続するということは墓も相続するということという暗黙の了解が人の気持ちにはやはりあります。ただしさんの長男と三男、次男の息子(ただしさんの孫)が相続人ということになります。ただ、三男は行方不明で相続の話し合いをしていこうというちょうどさなかに亡くなられました。残った長男と次男の息子の相続になりますが、長男はかなり遠方という理由から墓の継承は断りました。次男の息子は、次男が結婚した先の墓の継承もあるため、山野家の墓までは見れないとのことで継承は断りました。とても切ないお話ですが、これが現実なのです。
遠方であるということ、他にも継承を優先する墓があるということ。長年の間、タツさんが大切に守ってきた山野家の家と墓は、ここで終焉をむかえることとなりました。19歳で嫁ぎ、愛した山野末治さんとその思い出深い家。夫、末治さんを戦争で亡くした後も住み続け婿養子という形で入籍したただしさんとすごした思い出の家。タツさんは、その家の最後をどのような気持ちであの世からみているのでしょうか。。。
墓を相続しないということは家も相続しないということ。タツさんが守り切った家は、国に寄付されることとなりました。戦争で無念の死を遂げた山野末治さん、息子の死を聞き病魔でこの世を閉じた末治さんの母、末治さんを愛し後にただしさんの優しさにふれ愛しぬいたタツさんとただしさんが眠る墓は、のちに永代供養墓となりました。

先のとがった名前のない墓は誰の墓か知っていますか?


先祖の墓参りに行ったことがある方は一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?先端のとがった墓が、どの墓地にも見られます。それは、戦争で亡くなった方々の墓です。
なぜ、戦争で亡くなった人たちの墓は同じ形をしているのでしょうか?
所説あるようですが、実際のところはわかっていないようです。

靖国神社説・・・戦争で亡くなった方は靖国神社に祀られることとなるため、神道形式の墓の形である。

天皇の下賜金説・・・戦争で亡くなられた人の墓は天皇陛下からの下賜金で建てられていたため神道形式の墓の形である。

どちらの説にせよ、戦争で亡くなられた方の墓は奥都城(おくつづき)と呼ばれる神道形式の墓であるようです。同じ○○家の墓と書いた墓石がある敷地内にも神道形式なるこの墓がみられることもあり、大変感慨深い墓の歴史です。神道形式とは、宗教のひとつであり、信仰は天皇とその先祖ということになります。
戦争で亡くなった方々は天皇陛下万歳といって亡くなった方も多くいらっしゃるということで神道形式の墓石にはとても感慨深いものがあります。
また墓石に彫られている文字には、何年何月にどこで戦死したかが彫られている場合が多いです。その中でも星の形のようなものがある墓は陸軍の兵士であった方の墓を意味するようです。墓に入り、墓を残すということは未来に歴史を残すことという意味もこの戦死者の墓から学ぶことができます。

まとめ


今後の墓のあり方や、自分の死後の墓の有無を考えるにあたり様々なことがみえてきたと思います。自分の死後も継承され続ける方法もあれば、墓を持たないという考え方など。どちらにも「お金」と「覚悟」がいることではないでしょうか?そんな普段考えもしないお墓のこと。何気なく通り過ぎるお墓のこと。実際に深く触れて調べるうちにもっと自分たちの生きる意味を考えさせられることとなるのが生前整理の素晴らしいところだと思います。
まず、近い休みの日に自分のゆかりある墓参りをしてみてはいかがでしょうか?そのときに、自分の先祖の墓の形、先に記した戦死者の墓などをも見てはいかがでしょうか?今現在、日本の人口は1億2550万人強でこの1億人の人が全員墓を建てたとすれば日本の土地はマンモス墓地となりますが私たちの先祖代々、墓地だらけにならずに今までこれたのは家族を持ち、親類を持ち、合わさってひとつの墓に入ることを選んだこととも深く関係があると思います。また、墓を持たずに旅立った方々も確かにこの世を大切にし、愛し愛され、一生懸命に生きた方々だったでしょう。死に向かって生きるという意味、今後も大切に考えていきたいですね。

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